「人としてそれは違う」と言いたくなる場面は、管理職をしていると何度もあります。
申し送りを飛ばした。家族連絡を後回しにした。新人にきつい言い方をした。シフトが苦しい日に、自分の都合だけを前に出した。現場には、技術の問題だけでは片づかない振る舞いがあります。
ただ、そのたびに「人として正しくあれ」を相手へ強く向けると、現場は整うどころか、少しずつ黙ります。返事はよくなっても、本音が消えるからです。
この記事で一番伝えたいことは、人として正しくあることは、職員を裁くための言葉ではなく、管理職が自分の言葉、約束、振る舞いを点検するための基準として使ったときに、はじめて現場の信頼につながるということです。
「正しさ」を他人に向けすぎると、現場は報告しなくなる
たとえば終礼前の事務所です。送迎から戻った職員が、利用者の食事量低下を記録には残したのに、相談員への一言を落としていたとします。管理職から見れば、言いたくなることは決まっています。なぜ今それを言わないのか。家族連絡が遅れたらどうするのか。社会人としてどうなのか、と。
でも、その場で人格の話まで広げると、次から職員は報告の速度より、怒られない形を探し始めます。ミスの中身より、身を守る言葉が先に立つ。これが現場にとって一番重い状態です。
厚生労働省は地域包括ケアシステムを、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援を目的として進めています。さらに介護サービスの基準でも、利用者の意思と人格を尊重し、常に利用者の立場に立つことが明文化されています。介護現場の仕事は、利用者の尊厳を守るための仕事です。だから職場の中でも、相手の尊厳を壊しながら正しさを通すやり方は、長くは続きません。
もちろん、何でも受け流せという話ではありません。報告漏れ、乱暴な言い方、勝手な判断、個人情報の扱いの甘さは止める必要があります。ただし止めるときに必要なのは、相手の人格を決めつける言葉ではなく、事実と影響と次の基準です。
管理職が自分に戻すべき3つの基準
1.人前で相手の尊厳を削らない
新人指導で一番あとを引くのは、間違った内容そのものより、人前で小さくされた記憶です。フロアの端で強く言われた一言は、その場では従わせても、次の相談を止めます。
私は、人として正しいを使うなら、まずここへ向けるべきだと思っています。注意はしてもいい。ただし、人前で逃げ場をなくさない。指摘は事実で止める。感情が強い日は時間をずらす。この線を守れない管理職が、職員へ誠実さだけを求めても伝わりません。
2.自分が守れない約束を、部下にだけ求めない
家族連絡は早く、と言いながら管理職の折り返しが遅い。記録はその日のうちに、と言いながら自分の確認が数日たまる。シフトの公平性を語りながら、負担の重い穴だけ同じ人へ寄る。こういうズレは、言葉より先に見抜かれます。
日本介護福祉士会の倫理綱領では、秘密保持や他職種との協働に加えて、公正で誠実な態度で後進を育成し、より良い職場環境づくりに努めることが示されています。介護の専門職に求められる正しさは、立派な標語ではなく、守るべき線を毎日崩さないことです。記録を雑に扱わない。家族に伝える内容を盛らない。ケアマネへの報告で都合の悪い事実を削らない。こういう小さな一貫性の積み重ねが、管理職の信用になります。
3.感情で裁く前に、仕組みの穴を確認する
同じミスが続くと、どうしても人の問題に見えます。ですが、申し送りの置き場所が曖昧、家族連絡の基準が人によって違う、新人が誰に確認すればいいか決まっていない、こうした状態なら、責める順番が違います。
厚生労働省の介護分野の生産性向上の考え方でも、業務改善で生まれた余裕を研修やOJTなどの人材育成に振り分け、質の向上に使う視点が示されています。つまり、整えるべきは手を速く動かす根性論ではなく、育つための時間と流れです。人として正しいを現場へ求めるなら、管理職はまず、正しく動きやすい仕組みを置かなければいけません。
正しさは「全部抱えること」ではない
ここで誤解しやすいのは、正しい管理職ほど全部を背負うべきだ、という考えです。実際は逆です。全部を抱え込む管理職は、途中から余裕を失い、言葉が荒くなり、確認も雑になります。
家族から強い口調で電話が来た日、欠勤が重なった朝、ケアマネから急ぎの確認が入った夕方。こういう日にこそ、誰が返す連絡なのか、誰が最終判断なのか、どこから先は一人で抱えないのかを決めておく必要があります。線を引くことは冷たさではありません。弱い立場の人へしわ寄せを落とさないための責任です。
介護支援専門員の資質向上でも、利用者本位、自立支援、公正中立が繰り返し求められています。管理職の正しさも同じです。好きな人にだけ優しくするのではなく、忙しい日ほど基準を同じにする。頼みやすい職員にだけ負担を寄せない。声の大きい家族の要望だけを優先しない。そういう公平さがなければ、現場は静かに疲弊します。
介護現場で差が出るのは、きれいな理念より場面ごとの振る舞いだ
朝のシフト調整で不満が出たとき、管理職が先に言うべきなのは「文句を言うな」ではありません。どこが苦しいのか、誰にしわ寄せが続いているのか、今の配置で事故が起きやすい場所はどこか、です。感情を聞くことは甘さではありません。事実を集めるために必要です。
新人が家族連絡を怖がる場面でも同じです。「そんなこともできないのか」と言えば、その新人は次から黙って抱えます。必要なのは、最初の一文を一緒に決めることです。緊急ではないこと、今日伝えたい要件、今の状態。この順に話すだけで、電話のハードルは下がります。正しさは根性ではなく、再現できる形に落としたときに力を持ちます。
入浴可否の判断や送迎時の変更連絡でも、管理職の姿勢は出ます。分からないなら止めて確認してよい、と言えているか。勝手に進めた方が怒られず、止めた方が気まずい空気になっていないか。現場の安全は、こういう空気で決まります。
もう一つ見落としやすいのが秘密保持です。申し送りのつもりで利用者や家族の情報を必要以上に広げる。共有のつもりで個人情報を軽く扱う。これも人として正しいから外れます。便利なAIやチャットを使う場面でも、入力してよい情報の線を引き、人が最終確認する運用を守ることが必要です。
ハラスメント対策は、強い言葉を減らすだけでは足りない
厚生労働省は、介護人材が安心して働けるよう、介護サービス事業者にハラスメント対策として必要な措置を講ずることを義務づけています。ここで問われているのは、露骨な暴言だけではありません。相談しにくさ、報告しにくさ、声を上げた側が損をする空気も含めて、職場環境の問題です。
だから管理職が見直すべきなのは言い回しだけではありません。注意の場所。相談の受け方。折り返しの速さ。記録の扱い。謝るべき場面で管理職が先に謝れているか。人として正しいを本当に大事にするなら、まず職場の中で安心して事実が出てくる状態を守る必要があります。
令和5年度の高齢者虐待防止法に基づく調査結果でも、虐待防止措置や身体拘束適正化の徹底が改めて求められています。忙しさや人手不足は現場の現実ですが、それを理由に乱暴な言葉や乱れた対応を正当化してよいわけではありません。苦しい日に基準を崩さないことこそ、管理職の正しさです。
最後に残るのは、管理職が自分に何を許さないかだ
人として正しくありたい。この感覚は、介護の仕事ではとても大事です。利用者への態度、家族への説明、職員同士の言葉、どれも人間性が出ます。
ただ、その言葉を他人に向けて使いすぎると、正しさは武器になります。武器になった正しさは、一時的に場を静かにしても、長い信頼はつくりません。
管理職が本当に持つべきなのは、相手を裁く基準より、自分が崩してはいけない基準です。人前で尊厳を削らない。守れない約束を部下にだけ求めない。感情で裁く前に仕組みを見る。この三つを先に守る人の言葉なら、現場はまだ聞けます。
人として正しいとは、相手を言い負かすことではなく、自分の立場が強い日ほど振る舞いを崩さないことです。
あなたの職場で最近起きたもめごとは、誰かの人間性だけで説明できる問題だったでしょうか。それとも、管理職が自分に戻すべき基準を見直す合図だったでしょうか。


